ハル。
 たった一人の、僕の友達。君の笑顔も、声も、優しさも、僕はずっと大事に思っていた。
 例え遠く離れていても、僕らの友情は変わらないと、だから一人ではないのだと信じられた。
 けれど・・・ハル。
 もう君はいない。この空の下、どこを探しても。あのオペラは聞こえてこない。
 僕はまた・・・一人だ・・・。

(・・・暗い)
 部屋に一歩入った瞬間に、そんなことを唐突に思った。思ってから、何が暗いのだろうと少しだけ考
える。
 部屋は確かに暗い。
 もう日が落ちて随分経つというのに、電灯一つ点いていない。この状況を明るいと評する人間がいる
のなら、それは目か頭が悪いのだ。医者に行った方がいい。
(違う)
 柚子は大荷物を抱えたままふるふると首を振って、長い三つ編みを左右に揺らした。重い荷物を足下
に下ろし、改めて手慣れたしぐさで電灯のスイッチに手を伸ばす。
 パチン、と小さな音。続いて白い蛍光灯に光が灯り、皓々と室内を照らした。
(どうでもいいことを考えてる場合じゃないよな・・・)
 彼女が暗いと、そう思ったのは・・・
(なぁ、・・・ロレンス)
 明るく朗らかな、柚子たちの担任教師。イギリス人には珍しく日本びいきで、聖ミカエル高等部では
古典を担当している。
 丁寧で分かりやすい授業は生徒からも父兄からも評判で、その甘いマスクと誠実な人柄に、誰もが好
感を抱くという。
 それが、世間からのロレンス先生に対する評価だ。
 柚子もそれを正当な評価だと思う。思うけれど、それが彼のの全てだとも思わない。

「・・・先生、来たよ」
 リビングのソファの上でジッとしているロレンスの目前に跪いて、柚子は彼の顔を伺うようにそっと
見上げた。
 深い海のような青い目が、やっと柚子に気付いたのか、今ようやく焦点を柚子に合わせる。
「更級さん・・・?」
 いくらか驚きを含んだロレンスの声は、どこか掠れていた。心なしか顔色も良くない。
 ここのところふさぎ込むばかりで、まともに食事と睡眠を取っていないせいだ。
「また、夕飯作ってくから。今日はちゃんと食べろよ、先生」
 自分は今、どんな表情を浮かべているのだろう?
 出来る限り優しく笑っているつもりだけれど、胸ふさがれるような哀しみが表情に現れてはいないだ
ろうか?
 ともかく、抱えている悲哀を悟られてはならないと早々にロレンスから離れ、キッチンに向かう。
 昨日作ったカレーは全く減っていないようだ。鍋の中を満たしたまま、ガスコンロの上に乗っている。
 カレーは日持ちするはずだからとタッパーを取り出して移し替える。凍らすとまずくなるジャガイモ
だけは取り除いて、あとは冷凍庫にしまい込んだ。
 続いて、今日買ってきた食材と冷蔵庫に収められているそれを検分して、これから作る夕食に必要に
なるものだけを取り出し、あとは・・・
「・・・ハル」
 不意に、低い声が人の名を呼んだ。
 それにつられて振り返ると、ロレンスの青い瞳とぱちりと出会う。
「あ・・・」
 考えていたことを思わず声に出してしまったらしい。振り向いた柚子にロレンスは狼狽し、加えて申
し訳なさそうな表情としぐさで柚子に謝罪した。
「・・・いいよ、先生」
 仕方ないことだ。
 今はどうしたって、その名がロレンスの頭を離れることはない。
 ラインハルト・フォン・ベルンシュタイン
 ベルリン生まれのテノール歌手。
 将来を有望視された、若手の実力派。
 そして・・・死んでしまった、私たちの親友。
 優しい人だった。今こうして、ロレンスの心を蝕むほどに。
 思えばいい。例え死んだ人を思うのが後ろ向きな事でも、それが今のロレンスに必要なら。

 ・・・ただ、そうしてハルのことばかり思い続けてしまう、そんな自分をロレンスは責めている。
 きっと今も、柚子に心配かけてしまったことを悔いているに違いない。さらには社会的にも、ロレン
スはふさぎ込むことが許される人ではないのだ。
(おハルさん・・・。なあ、どうしたらいいかな)
 柚子は、もう一度ロレンスの元に足を向けた。
(どうしたら・・・一番いいようになるのかな)
 跪き、そっと彼の金の髪に指を滑らせる。
 小さな手が、何度も何度もロレンスの頭を撫でた。まるで母が子にするように。少しでも心が軽くな
ればいいと祈りながら。
「・・・柚子ちゃん」
 弱々しく、ロレンスが微笑む。
 無理をしている。柚子に少しでも負担にならないようにと、無理をしている。それが分かる。分かっ
て、しまう。
「先生・・・」
 切なくて苦しくて、どうしていいか分からなくて。けど、離れがたくて側にいたくて、何よりも彼の
負担になりたくなくて。
「・・・せん、せぇ」
 青白い頬に手を添える。
 ねぇ、本当にどうしたらいいんだろう。どうすれば、ロレンス、あなたは・・・。
 唇を頬に触れさせる。遠い国の友人たちがそうするように、何度も何度も繰り返す。
 それだけじゃ満ち足りなくて、柚子はロレンスの唇にまで口づけを落とした。

「ゆ、柚子ちゃん?」
 それは触れるだけではあったけれど、ロレンスを驚かせるには充分だった。体中のそこかしこに幼さ
を残すシャイな少女には、あまりにも不似合いな行動だと。
 ロレンスは慌てて体を離そうとするが、柚子は全身でそれを追いかけた。青年の長身に、少女の小さ
な体が重なる。
 少女は無心に、何度も何度も口づけを繰り返した。瞼に、頬に、耳もとに、唇に、繰り返すキスで彼
の心を埋めようとでもするかのように。
「柚子ちゃ・・・や、やめ・・・」
 うなじに、顎に、首筋に、鎖骨に。少女の精一杯の口づけは止むことを知らない。
「っ!」
 小さく、ロレンスの体がはねた。押しつけられる柔らかな体と繰り返される優しいキスが、容赦なく
衝動を引きずり出そうとしている。
 青年の表情が複雑に歪む。端整な顔立ちにさす、ほの暗い感情・・・。
「ロレンス・・・」
 ・・・ちゅ。
 柚子は、ロレンスの感情の変化を知った上で、あえてもう一度、自ら唇を重ねた。
 それでもロレンスは、その唇を、手を、彼女を抱くことに使おうとはしない。
「・・・・・・」
 いつまでも動こうとしないロレンスに焦れたのか、柚子の手が彼のシャツのボタンにかかった。
 何の躊躇もなく、上から順に次々と外していく。口づけも飽くことなく、胸元に、その尖りに、引き
締まった腹部にまで到達し、それに合わせて彼女の体が徐々にずり下がった。
 やがて彼女の指は、ロレンスのベルトにまで及ぶ。
「・・・っ! やめなさい、更級さん!」
 強く柚子の肩を掴み、力尽くで引き離した。
「やめなさい・・・。君は、僕に・・・僕に、君を傷つけさせるつもりですか」
「先生・・・」
 間近で見る柚子の瞳は幼くもまっすぐで、吸い込まれそうなほど大きい。それはロレンスが柚子に対
して感じている純粋性の象徴のように思われた。
 ずっと見つめ合うことができなくなる。彼女の視線はまっすぐすぎて、劣情に見舞われた己を暴かれ
てしまうようで。
「・・・今日はもう、帰りなさい。夕食の支度も、必要ないから・・・」
 目をそらして告げるロレンスを、彼女はその黒水晶のような美しい目で見つめ続け・・・不意に、き
つく睨み付けた。

「ロレンス。私を見ろ」
「・・・?」
「見るんだ、ロレンス」
 言葉とわずかな動作の気配に、ロレンスは改めて柚子を見る。すると、彼女の細い指が自身の三つ編
みをほどいていくところだった。
「さ、更級さ・・・」
「目を逸らすな。・・・私から、逃げるんじゃない」
 拘束から紐解かれた豊かな髪が柔らかく広がる。波打つそれは蛍光灯の明かりを受けて淡く輝いた。
 ・・・天使。そんな名詞が、今の彼女にはひどく似合いで。
「いいか、ロレンス。私は、自分の意志でここにいる。私はおまえに傷つけられたりしない。傷ついた
としても、ここからいなくなったりしない」
 小さな手が青年のベルトを外し、そのままファスナーを下ろす。トランクスをほんの少しずらしただ
けで、ロレンスの高ぶりを外気にさらすことができた。
「邪魔になるなら言ってくれ。一人になりたいなら距離を置こう。けど・・・自分から、勝手に孤独に
なるな。忘れるなよロレンス。私は、私の意志でここにいるんだからな」
 おハルさんにルドルフ君がいたように、ロレンスには自分がいると。
 呼びかければ応えられる場所に、手を伸ばせば触れられる場所に。
 自分はずっと、ここにいると。
「だから・・・」
 小さな唇が、少し震えた。
 最後の一線を飛び越えてしまうには、やはり勇気が必要で。
 喉を鳴らす。じっと見つめる。そして・・・改めて手をのばし、頭を下げて、唇をそこに触れさせた。

「ぁ・・・っ」
 ロレンスの声が聞こえる。それが、ほんの少し彼女を勇気づけた。上から下へ、青年の裏側を唇だけ
で滑っていく。
 根本にたどり着いた所でおずおずと舌を差し出して、今度は舌先と唇でじわじわと頂点を目指した。
「・・・は、ぁ」
 ロレンスの息が乱れたのを感じて、柚子はちらりと視線を上げる。彼は何かを耐えるように眉を寄せ、
薄く開いた唇から熱い吐息を漏らしていた。
(・・・感じて、る?)
 男のそんな表情を見るのは生まれて初めての柚子だが、それでも表情が意味する所は理解できた。
 自分の唇が、舌先が、確実にロレンスを喜ばせているという事実に、少女の小さな胸が愛しさで震え
る。
 頂点までたどり着いたところで、先端を唇で覆った。そのまま口内で舌を動かし、窪みを何度も往復
させる。
「ふ・・・んぅ」
 そのまま奥へと飲み込みたい所だけれど、ロレンスのそれは大きすぎて、口に含むだけで限界だ。今
だって呼吸がうまくできなくて苦しいくらい。
 せめてもう少しでも強く長く心地よさを感じて欲しくて、柚子は握っていた手をそのまま上下させた。
好奇心が得させた知識の限りで、柚子はロレンスを愛撫する。
「うぁ・・・」
 背年の呼吸は荒くなる一方だ。目を瞑り快感に耐えながら、足にかかる柚子の長い髪を一房掴み、指
先で撫でる。
 行為そのものは緩やかで、決して巧みとは言い難い。けれどそれをしているのが彼女であると思うと・・・あの幼く愛らしく、優しい少女なのだと思うと、それだけで愛しさと後ろめたさが同時にこみ
上げ、快楽を増した。

「・・・柚子、ちゃん・・・」
 ロレンスの熱が一点に集中しようとしている。男の性が終わりを告げる、その合図だ。
「駄目です・・・もう・・・君を、汚してしまう・・」
「ん・・・。いいよロレンス。・・・出しなよ」
 唇を離しはしたものの、手の動きは止めずに柚子は微笑む。
「いいえ・・・そうはいきません」
「へ・・・?」
 ロレンスは愛撫する彼女の手をやんわりと外し、次の瞬間、軽々とその体を持ち上げていた。
「ちょ・・・ロレンス!?」
 戸惑う柚子に向ける彼の眼差しは、痛いくらいに熱い。
「・・・どうしても汚してしまうなら、ちゃんと愛したい」
「きゃ・・・」
 ロレンスは柚子をかき抱く。頬に、まぶたに、唇に、くすぐったい程の優しいキスをして、同時に上
着の裾から手を差し入れて彼女のなだらか乳房の上で指を躍らせた。
「あ・・・んっ」
 すぐに少女の唇から甘い吐息が漏れる。積極的にロレンスを愛撫していた彼女の体は、もう随分と敏
感になっているようだった。胸元をゆるゆるとせめられるだけで、柚子は頬を上気させてじれったそう
に足をすり合わせる。
「あ・・・や、ロレンス・・・っ」
「ほら、腰を浮かせて・・・?」
「んっ・・・」
 ロレンスに促されるまま、柚子は彼の体をまたぐように足を開き、腰を浮かせた。ロレンスの細い指
が長いスカートの下にもぐって木綿の下着にかかったことを感じると、協力するように右に体重をかけ
て下着から片足を抜く。
「は・・・あ、ん」

 下着を取り去ってなお、ロレンスの手はスカートの下でうごめいた。片腕で柚子の細腰を捕らえ、少
しずつ下へと誘導しながらも、もう片方の手が敏感な場所を執拗にくすぐる。
「や・・・や、やだ、ロレンス・・・」
「・・・嫌? 痛いんですか?」
 問いかけに答える言葉を持たなくて、ただふるふると何度も首を横にふった。
 痺れて。体が痺れて、声が、こらえられない。
「あ、は、ふ・・・んっ・・・ロレンス、ぅ・・・」
 さそうように、願うように、あるいは祈るように、名を呼ばわって。
「・・・きれいだ・・・」
「ああ・・・んぅっ!」
 誘導されるままに、腰を落とす。下から来る圧迫感と、強引に押し広げられる痛み、それから満たさ
れる幸福に、涙がにじんだ。
「柚子ちゃん・・・」
「だい・・・じょぶ。い、痛くない、から・・・」
「無理をしないで・・・そんなこと言われると、ひどくしてしまいそうだ・・・」
 本当は苦しい。けど、ロレンスのいいようにしてほしい。
 少しでも心を軽くしてほしい。
 何をされても、ロレンスになら傷ついたりしない、離れたりしないと、分かって欲しいから。
「ん・・・っ」
「柚子ちゃん!?」
 柚子は自ら体を上下させ始めた。膝を立てて腰を浮かせ、座るように腰を下ろす。
「いいんだ。いいから・・・ロレンス、動いて・・・」

「・・・・・・」
 ロレンスにも、柚子が無理をしているのは分かる。
 無理をさせたくない、もっと優しくしてやりたいという気持ちもある。
 けれど強引に行為をやめさせることは、ここまでがんばり続ける彼女の気持ちを無為にするようで、
実行にはうつせない。
(・・・言い訳だ)
 何度も何度も上下にゆれる彼女を感じながらも、頭のどこかで冷静にそう呟いた。
 そう、彼女の意を汲もうなどと思うのは、明らかに自分へ向けた建前だ。
 この行為は証になる。彼女は自分を思っているという証に。
 自分の下を離れないと、何をされてもかまわないと、そう宣言した彼女の心を映している。
 征服欲、支配欲、独占欲、執着、背徳感・・・それから、愛情と快楽。
 すべてがない交ぜになった挙句、結果としてハルを失った悲しみを彼女で埋めようとしている自分の
浅ましさをロレンスは呪う。
(・・・それでも)
「あっ・・・ロレ・・・んっあっ、あ、あ、あ・・・っ!」
 ゆれる彼女の体を捕まえて、ロレンスは自分から小刻みに動き始めた。
 心地いい。彼女が自分の腕の中で、痛みと甘さを交えた吐息を、こうして胸に吹きかけてくれること
が。
「ロレンス・・・はぁ、あぁ、ああ・・・ロレンスぅ・・・」
 快い。彼女が切なげに、何度も何度も名前を呼んでくれることが。

(・・・君の)
 柚子の目じりに浮かぶ涙を、そっと指でぬぐってやる。焦点の合わない瞳で、それでも彼女はロレン
スを見ていた。
(君の悲しみも、喜びも、心苦しさも、愛しさも、痛みも、快楽も・・・全部)
「や、あ、あん、あ、やん・・・ああっ!」
 高く喘ぐ声が、ダイニングに響き渡る。
 きっとこれは生まれて初めて、彼女が漏らす嬌声で。
(全部、僕のためであればいいんだ・・・柚子・・・!)
「あ・・・ああああっ!!」

「・・・寒」
 まどろみの中で、柚子の声を聞いた気がした。
 だからロレンスは、胸の中にいる彼女をもっときつく抱きしめる。
「あ・・・駄目だ、先生・・・服、しわになるよ・・・?」
「・・・もう後の祭りじゃありませんか」
「う・・・」
 困惑した表情を浮かべ、彼女はぐっと息を呑んだ。それ以上の反論はない。
 事実は事実と受け止める彼女の素直さを、ロレンスは可愛らしいと感じた。
ちゅ・・・。
 軽く、唇を重ねる。行為の後だから、だろうか。先刻までの後ろめたさがない、素直な口付けだった。

「・・・もう」
 ほんのりと顔を赤らめて、柚子が顔をしかめて見せた。きっと照れ隠しゆえの故意の表情だ。
 そんな意地っ張りな一面も、ロレンスには愛らしくうつる・・・。
「・・・って、先生!?」
 突然、彼女は目を丸くして叫んだ。その原因を、ロレンスも知っている。
「どうしました? 更科さん」
 知っているけれど、できるだけにこやかな表情で問いかけてみた。残念ながら彼女がそれに冷静に応
答するだけの余裕は、もう失われているようだったが。
「ちょ・・・せん、先生、だ、駄目だったらっ! 駄目・・・ぁん・・・もう、ロレンス!!」

 ・・・きっとこの先何年経っても、ハル、君を忘れたりはできないだろう。
 君の名を、あの声を、優しさを思い出すたびに、僕はほんの少し泣きたくなるのかも知れない。
 録音されたオペラにしか君を探し出せなくて、また孤独を思い出すのかも知れない。
 けど。
 この、小さな幸せを胸に抱き続けられる限りは、僕は前向きに生きていける。
 ハル、君はいないけど、もう僕は一人ではないから。
 ・・・そうでしょう? 柚子ちゃん






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