「お二人で泊まるにはちょっと窮屈なんですが。…すみません、ダ・ジルバさん、ジゼルさん」
コアラの乗組員モモ君がすまなそうにダ・ジルバ夫妻を見上げた。
「いや、いいんだ。そんなこと。こうして、みんな無事だったんだから」
客室の入り口で、ラウル・ダ・ジルバは安堵の視線を送り返す。
「それもこれも、全部ダ・ジルバさんのおかげですよ〜。社長も、乗組員たちも……キラ船長も、
口ではあんなふうに言ってましたけど、そりゃもう感謝してるんですから。
…それじゃ、明日お迎えがくるまでゆっくり休んでくださいね〜」
「ありがとう」
ラウルが微笑み、傍らでジゼルがにっこりとうなずく。
人懐こい笑顔で手を振るモモ君を見送って、ラウルはドアを閉じた。

「まぁ」
周囲を見回していたジゼルが目を留めたのは、2人掛けのソファにそろって並ぶハートのかたちの
クッション。シンプルなつくりの部屋の中で、唯一ジゼルの好きそうな装飾品だ。
「可愛い。ピンクと赤のおそろい!……キラ船長の趣味かしら」
……いや、それはないと思うな。
両腕に抱えてはしゃぐジゼルに、ラウルは出かかった言葉を飲み込むとベッドに腰を下ろした。
窓を模したホログラムに映る、薄紅色と青のほのかな光。その穏やかな光景に、ラウルは
数時間前の出来事を思い起こした。
ふううっ、と大きく息をつく。
出たときそのままの部屋。ここに戻ってくることで、初めてその事実が生々しい現実感を伴う。
それでも、体に残る疲れは、むしろ心地良いものに取って代わられていた。
モモ君たち乗組員、キラ船長、――― そしてジゼル。イナバ5での落盤事故から、
誰一人欠けることなく無事に取り戻すことが出来たのだから。

「はい♪」
ジゼルはひょこん、と赤いクッションを手渡す。そんなしぐさのひとつですらも愛らしい。
「…ぼくに?」
差し出されたそれは、冷静で有能な野心家には不釣合いなほど可愛いらしい。
ハートのクッションを抱えるラウルのこんな姿を見たら、会社の幹部たちは何と言うだろう?
「ジゼル……ここに座って」
ジゼルに言わなければならないことがある。
もし生きて会えたなら、絶対に伝えなければならなかったこと。
ラウルはそれを受け取ると、そのまま小さな手を引き寄せた。

隣に腰を下ろすジゼルの肩が軽く触れる。いつから、この近さで話をしなくなっていただろう。
「色々…あったんじゃないのか?……その、僕のいないところで」
「ううん、いいのそんなこと」
気を使わせまいと微笑む姿がいじらしい。

― 相当辛い目に遭ったんじゃないかな。何度かチクチクやられてるのを見た事あるよ ―

ナッシュの言葉が脳裏をよぎる。実際、言われるまで全く知らなかったのだ。
ジゼルが発する無意識のSOSを、どうして感じ取ることができなったのだろう?
何ごともなく見えたのは、そう見せない努力をしていたからだと、どうして気づかなかったのだろう?
すべては僕のためだったろうに―――。
失格だった。夫も、足長おじさんも。彼女を一番傷つけていたのは、周りの言葉ではない、
他ならぬ自分なのだから。ラウルは自分自身の不甲斐なさを激しく後悔した。
「ごめん、気づいてあげられなくて……」
後悔がもどかしさを生み、もどかしさがラウルの言葉から勢いを奪ってゆく。
交渉事ならばいくらでも言葉が出てくる。どんなことでもうまくさばくことができる。
なのに、どうしてこんなときだけ上手に伝えられないのだろう。
わずかに顔がうつむく。ラウルは、口の中が渇き、言葉だけが空回りするのを感じた。

次の瞬間、ラウルの指先にふんわりとした感触が降りる。柔らかくて暖かなてのひら。
「わたし…嬉しかったの」
「えっ?」
ラウルの視線が向き直る。ジゼルはひとことづつ、言葉を選ぶように話し始めた。
「あの時…いろいろなことを全部放りだして、わたしを捜しに来てくれたでしょ?」
渡された伝言モバイル。それを開けたとき、ジゼルは驚きとともに、初めて自分の間違いに
気がついたのだ。不器用な言葉のひとつひとつから伝わってくるラウルの想い。
それが決して償いなどではなく、愛情であるこということを。
―――もう遅いかもしれない、という予感とともに。
「何よりも仕事が大事なのに、次の世代も含めて会社の将来を担わなくてはいけない人なのに。
あんな危険を冒してまで、助けに来てくれるなんて……思ってもみなかったの」
小さな手が、次第にラウルの手を包み込むように重なる。
「だから、いいの」
ジゼルははにかむように、でも心から嬉しそうに微笑んだ。原因は自分にある。
なのに、一言も責めずにそれだけで良かったと、嬉しかったと目の前の彼女が告げている。
ラウルを見つめる、静かだけれど暖かなまなざし。いつのまにか、ジゼルは差し伸べられた
救いの手を取るだけのかよわい少女ではなくなっていた。てのひらの暖かさがしみこむ。

あの時、このまま会えなくなるくらいなら、未来を引き換えにしてもかまわないと思った。
ジゼルの言う危険…つまり、例の電磁波の影響で、将来子供が持てなくなる可能性も
大いにあった。幸いどこにも影響は無かったが、あのときナッシュがステルス・スーツを
着ていくことを勧めてくれなければ。そして、スーツに男性体を守る働きがなければ。
ラウルの体は、ダ・ジルバ家の血を次へと繋げることが出来なくなっていただろう。
それでも、この決断に悔いはなかった。
「…あのとき何もしなかったら、僕は、一生後悔していたはずだよ」
そう思う。義務ではなく心から。

ラウルは手を握り返し、ジゼルをみつめた。握る手の力強さに応えるように、ジゼルは
心をうちあける。
「きっと自信が無かったのね。あなたの周りにあるもので、わたしだけが子供で。
……やっぱり償いでしかないのかな、って本気で思ってた。でもね――」
― ラウル・ダ・ジルバって人物は、そんな理由でわざわざ結婚なんかしないと思うよ −
ジゼルの中でキラの言葉がよみがえる。
ずっと胸の奥に痞えていた『償い』というキーワード。目を背けようとすればするほど、
その言葉が事実のように感じられ、心の中を重く占めていった。
ジゼルは、自分の心を塞いでいたものに改めて向き合う。
「それを振り払うことができなくて……ほんとは不安だったの」


「わたしひとりが、どれだけあなたを好きになっちゃうんだろう――― って考えたら」


瞬間、ジゼルの手からラウルの両手が離れ、小さな体を抱きしめた。
クッションが床に転がって小さく弾んだ。
「ジゼル……」
そんなことあろうはずもない。ラウルは掻き抱く腕に力をこめる。
「償いなんかじゃない。……初めからそんなものじゃなかった」
ジゼルの瞳が大きく見開かれた。
柔らかな頬をそっと捉え、ラウルは想いを声にする。


「愛してる」


ジゼルの瞳がラウルを映す。
「僕のジゼル」
大きな瞳が潤み、姿が揺れた。
「すまなかった。……僕を許して欲しい」
「ううん、あなただけが悪いわけじゃないの……!!わたしだってそう。一言、寂しい、って
言えばよかったのに、言えなくて、ずっと黙ってて、それで、だから……」
可憐な唇から次々と溢れ出る言葉。それ以上に、見つめる瞳の一途さがラウルを捉える。

「Shh・・・」
ラウルの指先がジゼルの唇をそっと制した。

唇を外れた指が背中に回り、ジゼルを包み込む。変わりに驚くほど柔らかな唇が押し当てられた。
「何も言わなくていい」
感触を惜しむように離れた唇がつぶやく。
「…いまからゆっくり聞くから」

『Do not Disturb』

くるり、ドアの向こう側にかかる札をひっくり返す。
ふたたび唇が重なりあう。絡まり、せめぎあい、こぼれる吐息の隙間をぬうようにくちづけは
深まってゆく。ふたつの体温がひとつに溶けて、言葉以上に互いの気持ちを伝えあう。
知っているはずなのに、ずっと忘れていた暖かさと激しさ。それを取り戻すことができる、いまなら。
そしてほんの少しの小休止。その一瞬に瞳を交わす。

その強欲なまでの熱さにジゼルは夜の長さを思い出し、そっとまつげを伏せる―――。


                          おわり





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